◆東北の歴史を紐解く その4 ◆
前九年の役後の陸奥の国は清原一族が統治しています。
棟梁は武貞である。その子供として本妻の子嫡男真衡(さねひら)、後妻の連れ子清衡、側室のあらたな子家衡、と3人の男子は種違い腹違いの複雑な関係である。清衡は幼名を清丸だったが清原家に入ってから 武貞は武衡と改名し、清丸は清衡に改名した。 清は父経清の一字、衡は永衡の一字が用いられている。両者とも朝廷側から安倍側に寝返って安倍のため死した因縁の名前である。清衡の母が提案した模様である。いずれは安倍血筋の再興を狙っていたのかもしれません。
武貞から嫡男の真衡(さねひら)に家督が移ると一族の長老出羽の吉彦秀武(きみこのひでたけ)と対立し内紛が勃発します。真衡(さねひら)、は出羽の秀武攻めに出陣するが途中病死してしまいます。その後領地は清衡と家衡に分け与え内紛は小康状態となります。
が領地配分に不満を持つ家衡が清衡の館を奇襲し妻子を殺害武力対立となります。
難を逃れた清衡の訴えで陸奥守に赴任した源義家は数千騎で家衡が立てこもる出羽の沼柵に清衡軍とともに出撃します。おりしも冬将軍まっただ中の為決着つかず一時引き返します。その後家衡軍は出羽金沢柵に移転し籠城するも義家清衡軍の兵糧攻めにあい全滅します。清衡勝利となり後三年役終了となりました。ここに、もともと陸奥の支配者であった安倍の血筋の清衡の手中に領地が戻ったことになり 奥州平泉の開祖としての立場が確立することになります。
写真の4巻は後三年役の歴史物語が描かれています。 つづく
高畠・まほろばの里案内人・ とだちゃんブログ
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